彼は彼の狂気をさほどに厭うていない。だが嘆いてもいない。どこにでもあるものだし、常にここに在り続けるからだ。恐れても仕様がない。
だが恐れなくして立ち向かってはならない。死武専の教えのひとつだ。
彼の恐れはいつも彼の中にある。狂気も、喜びも嘆きも。自分と向かい合うことで彼は世界と向かい合っている。
だとしたら、やっぱり恐れることはないなと、思ってシュタインは嘆息した。
「こどもはこわいねぇ」
新鮮な感覚を持った彼らの行動もことばも、シュタインに常に問い直す。よく考えて思い出せ。お前がほんとうに怖いものはなんだった?
お前がほんとうにほしいものは何だったのだ?
探求のこころに終始する問いではない。たぶん、もっと単純なもの。些末なもの。彼が切り捨ててしまうことが多いもの。
日常というのは難しい。成長も、学習も、もろもろすべてひっくるめて。
彼に問いかける蛇は、彼の蛇である。必ずしもメデューサを指さない。彼の蛇は彼の怯懦であり、彼女の姿をとることが彼の免罪符である。
こどもに、蛇に、シュタインは問いかけられる。何度も何度も。問いは繰り返され、飽きることがない。
(俺は問いかける側だったと思ったが)
しかし問いは研究者としての彼に突きつけられているのではない。好奇心をもって「何故?」を発し続けた彼に向けられているものではない。
たぶん、教師として。
教師をしてほしいと云われた時にも、彼は「何故?」と問うた。
むしろ自分はこどもを害する側ですよ。生徒を守らなくていいんですか?
死神は笑って答えた。守るだけなら教師などいらないよ、と。
(たぶん、死神様は)
(教え導きなさい、といいたかった)
わかっていて尚、しかしとシュタインは思うのだ。よい模範となれないのであれば、正しい道を示せないのであれば、せめて悪い手本を見せてやろう、と。こうはなるな、と身を以て示してやろう。
弁えるべきは、それが彼の免罪符にならないようにということだ。
彼は彼の狂気を憎んではいない。愛してもいない。ただ嘆かわしいものだとは思っている。つまり彼は自らを愛してもおらず憎んでもおらず、ただ嘆かわしい存在であると思っている。
問いかけが聞こえる。愛しているか?憎んでいるか?
──────いいや、どちらも。と彼は答える。
願わくば憐れむこともせずにいたい。
Kyrie eleison. その程度には、彼は神のいる世界を愛しているのかもしれない。無論、裏返しで、少しばかり憎んでもいるのかもしれないが。
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偉人の言葉で15題 207ベータ さま
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。
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