坂道に、アーサーと菊が立っている。坂の上にアーサーが、坂の中ほどに菊が。
彼らの庭はよく手入れされていて、雨が多いため緑は濃く、花の彩りも多い。
坂の上のアーサーは薔薇の園を、坂の中ほどの菊は桜の大樹を。
坂を登りながら、彼らはそれぞれの庭について話す。
「あなたの庭は人工的に整えられていることが多いですね」
「お前の庭は人の手が入っているのにも関わらず、木々や、もとのつくりを活かすんだな」
「ええ。王さんのところから、昔に入ってきたのですよ。庭つくりは禅師のたしなみのひとつ。庭はひとつの世界の縮図なのだそうです」
「庭にかぎらず、俺のところではそれは構造の話になるな。お前のところでは、構造ではなく世界認識の話になるのか」
「どうもそのようです。構造があってはじめて構築される世界があるのではなく、世界があってはじめてその中に構造や構築という概念がある。概念というのは内側に属するものだと、私は思っています」
「そうか。面白いな」
構造とは骨組みに過ぎないと菊はいう。概念とは物事の内部を律して、そのモノ・コトたらしめるものに過ぎないと。モノ・コトの内側に理論や成立条件などの世界があるように、その外側にも世界があるのだと。
アーサーは箱庭をつくっているが、菊はその箱をひらいた。方法論の違いにとどまらず、恐らくはそういうことだろう。
桜は大樹だ。その枝は庭の外にまで広がる。
薔薇は垣根だ。内部と外部を仕切る。
しかし、とアーサーは思うのだ。
薔薇は侵入者を許さない棘持つ壁かもしれない。だが、うつくしい花を咲かせた垣根によって、誰かの歩みを思わず止めさせ、たとえ垣根ごしでもこちらと会話をする糸口になるかもしれない。もし言葉を交わせたのならば招待しよう。薔薇の垣根の内側に。彼の庭に。
荊はけして拒絶などではない。
だからアーサーは坂の上で菊を待った。菊が垣根の向こう側から声をかけるのを。
アーサーの髪が夕暮れに黄金に揺れて、見上げた菊は稲穂のようだと目を細める。かつて菊は揺れる稲穂の景色を見た西洋人に、黄金の国と呼ばれた。しかし今このとき、稲穂のように髪を躍らせているのは、むしろ西洋のアーサーだった。
荷物を持ち直すふりをして、すこしだけ立ち止ってそれを見上げた。斜陽とあいまって、本当に夢みるような黄金色をしていた。
菊は坂を登り切り、アーサーの隣に立つ。
「私が先に立って案内しなければならないのに、失礼しました」
「なに、醤油の瓶は重いだろう。だから俺が持つといったのに」
「お客様に買い物の荷物を持たせるわけにはいきません」
アーサーは苦笑する。お口にあうとよいのですがといいながら、今度は菊が先に立って歩き出す。
菊の家で桜を見るために、アーサーは片方の買い物の荷物を持って菊の隣に並ぶ。夜桜もなかなか乙なものですという言葉にのせられたとはいえ、今夜の花見はよいものになりそうである。普段食べることのない日本食の夕餉も楽しみだ。
アーサーは隣の菊を見る。髪も瞳も夜のような色をした菊に、桜はいっそう映えるだろう。だからきっと、今夜の桜はうつくしい。
春の桜を見たら、今度はこう誘ってみようか。初夏の咲き誇る薔薇を見に来ないか、と。
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お題提供:まよい庭火
云い忘れてた、「王さん」は中国さんのことです。
紳士の国と武士の国は穏やかに仲がよさそうです。
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。
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