夏の終わりの虫の声はまだ盛んで、強い日射しをまぶしい、と感じている。
彼は縁側に坐している。
それはほとんど断片といっていい記憶だ。
記憶というよりも夢の話に近いかもしれない。
意味のとれないことば、よくわからない事柄、因果関係が見いだせないつながり。
恐らくとりとめのない物思いに過ぎないのだ。ことばにもならない、感覚。
朱い色。誰かの手。入道雲と青空。白い砂浜の白い貝殻。軍帽。裸足の足。
いつであって、どこであるのか。わかるような気もするし、わからないような気もする。ひとつに答えを定めることもできるが、あえてそれをしないで、景色がモザイク文様のように不規則に組み合わさっては流れてゆくのをただ見ていた。
裸足の足は南海の記憶。終戦間近の遠い戦線の話であり、まだそれほど切迫していなかったころに遭難同然で過ごした小さな島の数日でもある。
軍帽。自分の。誰かの。階級章なんて最後にはぜんぶ金属音をたてて地に落ちた。或いは無意味にひかり輝いていた。いつまでも。でも戯れにかぶせられた欧州の友人のそれが自分の頭よりもずいぶん大きくて笑ってしまったこと、そんなのも事実だ。
白い砂浜、白い貝殻。南海のものであり、日本海のことであり、太平洋のことであり。
入道雲と青空は今もある。いつもある。夏にはいつも。
あの朱は何の色だったろう?明け空か、白い旗に描く日輪か、それ以外の滴るものか。
あぁでも、着物の色でもあったなぁと、思ってふと誰かの手をまた思い出した。
いろいろな手があった。朱い着物の小さな手。どこかで誰かが。思い出せるようでいて、思い出にない記憶なのかもしれない。
赤子の手は紅葉にも比す。その手は小さかった。あの紅葉の手。どこにいってしまったのだったか。あの子がどこへ行ったのだろうという詮無い思いか、それとも自分がその記憶をどこに仕舞ってしまったのかという慨嘆か、どちらであるともつかずに、夢見るようにただ想った。
あの子は誰だったろうか。毬をつく手。ちいさな手。ひとりの少女ではないのかもしれない。何人もの異なる少女が出会った記憶ごと渾然として朱い着物の少女として想起されているのかもしれない。
あの手はどこに行っただろう。
彼はふと縁側の緑を自覚した。蝉の声が耳に帰ってくる。
白昼夢だった。
「ねえ菊ー?」
呼ぶ声に、はいはいと立ち上がる。なんでしょうかね。
縁側には湯呑がひとつ残されている。
戻ってきた彼が青年に説明をしながら再度座っていた位置に腰を下ろすと、あれ、と青年が声をあげた。
「なに、これ。飲めるの?」
そういって湯呑を指すので、はて湯呑もお茶ももう見慣れたもののはずだが、と怪訝な顔で青年の指の先を見て、瞠目した。
ほとんど中身が干された湯呑には、赤い紅葉が入っていた。
「飛んできたのかな?それともこれ、おいしいの?」
彼はつと湯呑を持ち上げながら、いいえ、と微笑した。上薬がかかって黒く渋い湯呑に、鮮やかな赤は場違いなほど映えた。
「悪戯好きはどうやら変わらないようで。困ったものですね」
「え?」
目を瞬かせる青年に、あえて答えず、彼は湯呑を手ににっこり笑った。
*****
座敷童子ちゃん。今もいるんだろうなぁと。
落葉=洛陽。存在が斜陽だという意味であってもなくても。逢魔ヶ刻、黄昏の存在だから。
しかし人名表記にしたのが意味ないくらい名前を呼んでないですね。
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。