fkmt作品。天。
たぶん越境というよりIF。
東西戦あとも交流があるひろと赤木さん。
俺の時代は、なんて常套句をその人が口にするのは珍しくて、だからよく覚えている。
たぶん煙草の話題だった。飲みつけない洋酒にむせた俺を、煙草のけむりがいったせいだと思ったのか赤木さんはおぉ悪りぃなと笑った。いいえと俺は返した。
「煙がいっちまった。煙に好かれるのは美人の証拠だっていうからな。許せよ」
「美人って」
嬉しくないし、だいたい美人でもない。
「口説き文句なら相手を間違えてますよ」
赤木さんはおもしろそうに笑った。俺は平気なふりをして強いアルコールをまた一口あおる。第一、口説かれなくてももう落ちているようなものだ。
「あぁ、しかし、煙っちまったもんだ」
「は?」
「この街さ。煙るというか…くすんだ気がするな」
「はぁ」
「わかんねぇか、ひろ」
「…いつと比べて、ですか」
暗に、わからないと首を傾げた。赤木さんは、お前くらいの年じゃもうこれが当たり前か、といった。
「いつというか…ま、昔と比べたら、か。しかし俺がお前くらいの時代にも、この街はくすんでたんだろうな」
灰色の街。コンクリートジャングル。首都。
「煙草のうまさと不味さは変わらねぇが、空気は…命と空は、煙っちまったな」
いのちとそら?と俺は問い返した。
赤木さんは俺と同じ洋酒を難なくさらりと飲みながら、あぁ、と続けた。
「命の価値と意味が、馬鹿みてぇな外付けになった。空は…ほれ、温暖化だか何だか知らねぇが、このところちっとも入道雲が見えねぇ。ビルの高層化が進んで、見上げたって空は狭い。どいつもこいつも、首根っこを押さえられて、満足に上も見れねぇのさ」
俺には、それは空の話だけをしているようには聞こえなかった。
たぶん、上を見れない、というあたりだ。
上には上がいるということを、俺はもう知っている。それが、けして越えられる類のものではないことも、肩を並べることすら出来ないことも。そもそも比較するようなものではないのだ。
まざまざと、自分は彼らのようなものを持っていないということがわかった。彼らを彼ら足らしめる、武器。唯一。根幹、彼自身とすらいってよいもの。それが何か、ということがわからなかった。
いや、それはわかったのだ。それが、才というものだ。
だからこそ俺は痛感せざるを得なかった。そこに辿りつけないということを。
実に惨めだ。なのに何故、こうして度々この人と酒を飲んだり、飯を食ったりするのか。わからない。いっそ二度と会わずにいたいような、せめて少しでも多くその輝きを目に焼き付けておきたいような、煮え切らない思いだ。
だが。俺はこの人を、けして嫌いでは、ない。
それが、飯も食わずに夕刻から、呼ばれたというだけで飲みつけない酒を飲んでいる理由になるだろうか。
「そんなに空は、煙ってますか」
「おお」
「…この時代では、それが当たり前ですか?」
俺のいのちは、煙っていますか。
赤木さんはにやりとすると、いや、といった。
「いい景色ってなあるもんだ、ひろ。いつだって、どこだってな」
どんな時代だって。どんな奴にだって。
俺にだって。
赤木さんは時計を見ると、今ぐれぇなら、といって席を立った。
「え、赤木さん、どこへ」
「星のきれいなところへさ」
「ええ?」
ドアの向こうへ消えた背中を追って、慌てて俺は立ち上がった。
*
店の外の宵闇に暮れつつある道を歩きながら、空を見上げた赤木さんは呟いた。
「俺がお前くらいの時分にゃ…星がもうちょい見えた気がするな。銀河だって見えた」
大袈裟な、と思ったが、口には出さなかった。
「大袈裟だな、とか思ってんだろ」
だが当てられた。ぐうの音も出ない。
くつくつと赤木さんは笑う。
「ま…いいさ。星を見るにゃ、暗くなくちゃならねぇ。この街は明る過ぎる。昔も今もな。だがそれだけじゃ星は見えねぇ。暗いだけじゃ駄目なんだ。星を見るには、他にも必要なもんがある」
道を曲がった赤木さんが、ふいにあるものを指さした。俺はその先を見た。
東京タワーだ。日が暮れて、もうあかあかとライトアップされている。
「俺がお前くらいの時分にゃ、あれはなかった」
いや、あったかな?と呟きながら、どうだいと煙草をくわえる。
「あそこまで高く登れば、空だって近いぜ」
そういって、あかるいネオンの光を映す目で、にやりとした。
高いところまで登れるのは、一握りの人だけなのだ。遠く、明るく、手が届かないものに、俺は目を伏せる。この人にはわからないだろう。地べたから頂上を見上げる者の気持ちなど。
「…スモッグで曇って、見えやしませんよ、きっと」
星なんて、と俺はごちる。
かもなと赤木さんは頷いた。
「かもな、って…」
「生憎登ったこたねぇんだよ、俺は」
興味なかったから。
納得できてしまったので二の句がつげなかった。ただ、思わず苦笑した。
「…じゃ、登ってみます?」
「それもいいな」
だが野郎二人でなんて、ぞっとしねぇなぁと赤木さんは笑った。俺も笑った。
*
あれから十年が経った。俺は今、ひとりで東京タワーの展望台にいる。
結局、あの会話の後に飯でも食いにいくかといわれ、東京タワーには登らず仕舞いだった。俺は洋酒の酔いで時間が経つほど頭が重たくなって、その後に彼とどんな会話をしたのかも、今はよく思い出せない。
ここにはプラネタリウムもある。しかし見たいのはもっともっと上の星だ。
見上げる。矢張り東京では星はほとんど見えない。晴れていても、地上が明る過ぎる。
見えませんよとひとりごちた。
そのとき、思い出した。
「見上げるばかりじゃつまらねぇ。首も痛てぇ。見まわしてみろよ」
それで見えるもんもある。
飯屋で箸を使いながら、彼の人はそういった。
空が見えなくても、景色が煙っていても、それでも見えるものはある。
俺は周囲を見まわす。日が暮れかけてきた今、夜景と夕焼け空と、三百六十度のパノラマは、これ以上ないほどの絶景だった。
地上の星だなんて、使い古されたことばだろうか。そうかもしれない。しかしこの高みからは、それこそが遠い、尊い、手の届かない星なのだ。
あなたはあれから東京タワーに登ったりしたのだろうか。
いや、ないな。きっと。そんな機会はなさそうだ。
だからこの景色を、あなたは知らなくて、俺は知っている。
俺の時代にゃなかったと、あの人はいった。お前にだけ見える景色もあると、いってくれてたのだろうか。
けど、この展望台よりよっぽど高層のホテルに泊まってそうだなぁ、なんて思ってしまって苦笑した。それもまた、俺の知らない彼の景色というものだ。
天の星より街の灯が、どうやら俺には似合ってるらしい。
星になった人に束の間の別れを告げて、俺は俺の居場所である、地べたへと帰っていった。
塔=卒塔婆の略称、っていうのも読んで…
なんとなく天の初登場時のバーみたいなのイメージ。
銀河の着想はアニメアカギED(1クール目)から。
ひろにとって、思い返せば赤木さん(や、それに代表される天さんや沢田さんや東西戦)が遠い明るい銀河なんだろうな。
赤木さんにとっては若い時分の無茶や無謀、飢えや渇きがそうといえるのかもしれない。
たぶん赤木さんはそんな考えてしゃべってない笑
ひろの憧れと比例する劣等感はこんなにじめっとしてないと思うけど。
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