乳鉢で薬草をすり潰す馴染み深い音に違和感を覚えて、食満は衝立の向こうをのぞいた。
「なに、留三郎」
伊作がこちらに顔を向ける。食満は違和感のもとを探し出して、どうしたそれ、と問うた。
寝巻きの伊作の人差し指と中指に包帯が巻いてあった。第二関節から第三関節までを覆っている。
ああこれ、と視線をたどって伊作は苦笑する。
「合戦場でさ、ちょっとね」
問わず語りに伊作はぽつぽつ語った。
目の前でひとりの足軽が重傷を負った。急激な出血と痛みでショック状態に陥った足軽が舌を噛まないよう、とっさに指を噛ませた。
足軽は歯を食いしばって痛みに耐え、気絶した。
意識を失った足軽の怪我を、伊作は治療した。
応急手当だけだったけど、といって、そのときのだよと白い包帯に目を落とした。
「馬鹿、そんなもん下手したら骨まで届くだろ」
「うん。一応布を巻いて噛ませたんだけど」
指がちぎれるかと思った、といって伊作は苦笑した。
「よりにもよって右手か。しかも人差し指と中指」
「親指にすればよかったって後で気付いたよ」
親指は一番太い指だから。そういって、ぎこちなく指を曲げ伸ばしする。
「相変わらずだな」
食満は嘆息する。馬鹿だな、と。その足軽に義理などないだろう。ただの行きずりだろう。ましてや演習の途中だったはずだ。他人にかまけている暇はない。戦場なのだ。そんなもの、どこにでもある風景だろう。
傷んだものから損なわれてゆく。
戦時だろうが平時だろうが、それは用具委員会に籍を置く食満の心情でもあった。
伊作は食満のいいたいことを察しながら、うん、と頷いた。
「放っておいてもよかったんだけどね。仕方ない」
「保健委員だから、とでもいうつもりか」
「いや。あの足軽は僕の目の前で傷を負ったからさ」
ほんの一歩、いや半歩、横にずれていたらあの怪我をしているのは僕だった。
「身代わりというのでもないし下手な罪悪感もないが、見過ごせなかったんだよ」
善意からでもなく、奉仕でもなく。
あれはもしもの姿の僕だった。
食満はとっくりと沈思した後、「それで、その足軽は」と問うた。
伊作は眉根を寄せて笑った。
「うん。片腕はなくなった。きちんと生き延びたかどうかは、僕も知らない」
しかし、止血をし、本陣まで運んだ足軽は、縫合の後にわずかに意識を取り戻して居合わせた伊作をじっと見つめた。その眼は熱に浮かされながらもしっかりと伊作を見つめていた。
言葉はなにもなかったが、それでよかった。
伊作は演習のため戦場や陣中を飛び回り、それからその足軽の顔は見ていない。
「そうか」
食満はぽつんと呟いた。きっと生きてる、とも、死んだとしてもそれでも、とも、何もいわなかった。
やはり、それでよかった。
「うん」
伊作は微笑んで、衝立の上の友の顔を見上げた。
食満は大袈裟に嘆息した。
「なら、お前、左手で乳棒を握るとか、他にやりようがあるだろう」
薬剤の調合のことをいっているらしい。目で指されて、伊作は乳鉢を見下ろす。
「だって右手がやり易いんだ」
「利き手がきかないで、明日っから授業をどうするつもりだ」
「両方が使えるのは基本だろ。大丈夫、左手の鍛練だと思うさ」
発想の逆転は伊作の十八番である。彼は逆境を友とする。
食満は再度嘆息した。
「寝る。お前もほどほどにしろよ」
「ああ、もう少しで寝るよ」
衝立の向こうに引っ込んだ友に、伊作はそっと告げる。
「おかえり、留三郎」
布団に入ったのか低い位置から、くぐもった声が返ってきた。ただいまと。
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上級生は一斉に学園あけるのもなんだから、交代で順番に校外演習に行くんだという妄想。
は組は伊作→食満の順番
伊作と入れ替わりで演習だったので食満はしばらく伊作と会ってない。これは帰ってきたその夜。(説明しちゃった)
妄想ずくめですみません。
だって全員一斉にいったら先生たちの目もまわらないだろうと思って…
原作みたいに大人数で散らばっていろんなとこでいろんな仕掛けをして、最後に加速度的にまとめあげてひとつの作戦にしちゃって一挙解決、みたいなのもいいけど、個別に題目出されて孤立無援で力をはかる、みたいなのも演習の種類としてはあってもおかしくないだろうと。
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。