ネウロ。弥子とネウロ。
なんか妙な夢を見たのでそのまんま。
ネウヤコっぽい?
ああ、行かなくちゃ。行かなくちゃ。
馴染みの暖簾をくぐってその先へ。まっすぐ伸びる通路の両側に、まるで窓のように大小様々の写真がかかっている。
楽しいこと。悲しいこと。たくさんの出来事がそこにある。
青いスーツの男に少女が頭を掴まれて持ち上げられている。少女が家族と食事をしている。釣りをしている。泣いている。笑っている。驚いている。
通路の向こうから数人の男女が話しながら歩いてきた。
「ほら、これやるよ。お前好きだろ?」
片手にプラモデルを持った男が食玩のおまけのチューインガムを差し出した。
「これも差し上げます。どうぞ」
髪の長い女性が蛙の脚を手渡してきた。
「貴様のものだ。まったく」
眼鏡の男が尊大なため息をつきながら領収書をこちらの手に押し付けた。
彼らはああでもない、こうでもないと喋りながら、案外楽しそうに、通り過ぎて行ってしまった。
私は手の中のものを見下ろす。領収書は二十六万となっている。蛙の脚はこんがり焼けている。
(私、これ、食べられないんだけどなぁ)
どうしようかと思っていると、いつの間にか前を男が歩いている。青いスーツのその背中があまりにも自信を持って風をきっていくものだから、自然とついて歩きだしていた。
写真が笑う。泣く。怒る。
男の歩調に合わせるために早足になりながら、写真から目を逸らした。
「何故それから目を逸らす」
突然男がいった。私はつい先程まで会話を交わしていたような既知感と共に、男に答える。
「だってこれは写真じゃないの。窓じゃない。そちらに行けるわけでもないのに、こんなの見せられても、羨まししいだけだよ」
もう過ぎ去ったものを見るだけなんて辛い。そこに楽しさや悲しさがあるからこそ。
「見れば甦る。思い出せる。辛くない?ずっとこの廊下は続くんだよ」
「どんなに長かろうが関係ない。先にあるものはたったひとつだ」
男に遮られて見えなかったが、もう通路の突き当たりが近かった。すごく長かったはずなのに、喋っているとあっという間のようだった。
まるで広間に続く扉のような、手術室へ向かう扉のような、いや大きな屋敷の玄関のような、両開きの取っ手に黒手袋に包まれた手を置いて、男はいった。
「究極の謎だ。喰え」
扉を開けると、果たしてそこには男のいったとおりのものがあった。
「…いいの?だって、これはあんたの」
「いいのだ。最高のものこそ貢ぐ価値がある」
「え?」
「妻問いの品に持ってこいだろう?」
ぽかんとしてから、この鳥はつがいを探していたのかとふと思った。
「…ああ、それじゃあ、いただきま」
ごつんと小突かれて目が覚めた。
弥子は起き上がりながら、痛いんだけど、といった。ソファでうたた寝をしてしまったらしい。
「だらしのないことだな。依頼人が来たらどうする」
「あー、ごめん…」
こいつに隙を見せてはいけないのだった。常にひとを隷属させる機会を狙っているというのに。
「どんな卑しい夢を見ていたのだか」
「え、私、何かいってた?」
寝言をきかれていたかと思うと妙に気恥ずかしい。ネウロは首を傾げながら、食えるとか食えないとかうるさかったぞといった。
「どうせ貴様のことだ。夢の中でも食うことしか考えていなかったのだろう」
「もー、失礼だな。でも反論できない…」
けど、と弥子は続けた。
「夢、見てたのかな。憶えてないや」
見ていたとしても、起きたときの一撃で忘れちゃったよといった。
「って、あ、もうこんな時間。じゃ、ネウロ、起こしてくれてありがと。また明日ね。あかねちゃんもまたね」
鞄を取って挨拶すると、あかねが手を振る様に揺れているのを見ながら扉を閉めた。
階段を下りながら、でも起きぬけの一撃は、ネウロにしてはおとなしかったなと思って、すぐに忘れた。
「…おかしいな」
魔人は指先で咲かせた花を見ながらぽつりと呟いた。
七百七十七つ能力、花と悪夢。使い方のひとつとして、この安眠効果のある香りに誘われて眠ったものは、覚めない悪夢に苦しみ、じわじわと花の養分となる。
苦しむ寝顔に落書きでもしてやろうと思っていたのだが。
「…効果が薄かったか?」
悪い夢を見ているふうでもなかった少女の様子を思い出しながら、魔人はひとり首を傾げた。
*****
という夢を見たんだ…を、無理矢理まとめてみた。
「花と悪夢(イビルラベンダー)」については勝手なもうそうです…
ラワーレはラベンダーのラテン語の語源から。意味は「洗う」。
夢の中の弥子は魔人ヤコのつもりでした。
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