花を渡すことになにがしかの感謝の意があるとしたら、私が君に渡すことはつまりそれだろう。
「花を摘むのはかわいそう。そこでただ咲いているのに」
しかし私も君も、生き物を育む学友も、花を摘むのを好まない。もちろん必要ならばそれを厭うこともない。だが、だから花は渡さない。
「花が咲くのは虫のためさ。そして花自身のためさ。そういうふうにできているからなんだ」
竹谷はいう。成立しているシステムなのだと。
「花が咲くのは実をつけるためさ。種を産み落とすためさ」
私はいう。死んで花実が咲くものか、と。
「花が咲くのに意味はないさ。咲くから、あるから、ただそれだけさ。そして僕らがそれを見てとやかくいっているだけなのさ」
雷蔵がいう。そうして一輪を手折ることなく、花咲き乱れる野原に手をひいてゆく。
その野があまりに明るくひらけていて、眩しいから。うつくしいから。
だから私は花を君に渡さない。
手の中で柿をもてあそぶ。やわらかく熟れた甘柿だ。日向の陽光を煮詰めたような色をしている。
花を摘むことを選ばない友に、食い意地の張った君に、私は果実を手渡そうと思う。
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かじつ。果実。佳日。過日。
残せるのは、渡せるのはそれだけ。
久々知が入れられなかったのは何ていうか想像つかなかったからです。たぶんいうとするなら上の雷蔵みたいなこというんだと思います。
三郎が見つけて雷蔵が手を引いて竹谷がみんな呼んで久々知が連れてこられる。
五年はそんなイメージ。誰かひとりが知ったことを隣の誰かに普通に教えてあげて、みんなで笑う。
今年のポケモン映画で、あの花はつまり「感謝」なんだってきいたので、着想はそこから。
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。