きり丸の手には傷がある。腕にも脚にも、身体にも。擦り傷や切り傷は当たり前で、あかぎれだって当たり前で、火傷やひきつれた傷痕もある。
彼には沢山の傷がある。
委員会中、きり丸の手の届かない上の棚の本を取る委員長の手に、きり丸は見知った傷を見つけた。火傷だ。火器を扱ったのかもしれない。上級生であろうとも、たとえへまをしなくとも、手に火傷をつくることなど珍しくもない。特に気には留めなかったが、ふと仰いだ中在家の顔にも、本を差し出した袖の中に続く腕にも、縫われた傷が見えた。その傷を舐める視線を感じとってか、中在家はふときり丸を見つめた。
穏やかな深い目が黒々とひかる。きり丸は本を受け取りながら、中在家の手を見た。
「薬、つけとかなくていいんすか」
中在家はゆっくり瞬きした。本を受け取り、そのままきり丸は中在家の手をとる。火傷は軽い。放っておいてもすぐに治りそうだ。
触れた手は大きく武骨で、荒れていた。ひび割れている部分もあり、皮が厚くなって硬い。大人の男のような手だ。
中在家はきり丸に手をとられたまま、ぼそりといった。
「…あかぎれ」
「は?」
すぐに察した。
「おれの手ですか?いいんすよ、治りかけだし」
きり丸は年齢に不釣り合いな荒れた手を持っていた。かけもちの賃仕事のためであり、それだけでもない。
思えばきり丸の傷はこの学園に入学する以前のものがほとんどなのだ。その多くは治りかけであり、或いは完治していて、きり丸自身はあまり気に留めることはない。ただ時々は思う。同室の二人の掌を見て、ふくふくとやわらかなしろい手に触れて。きりちゃんの手はがさがさだねぇ、きり丸の手は荒れていたいよ、でもつよい手だねぇ。ふにゃりと笑われて、そうかもなと返す。どちらのことばに頷いたのかは忘れた。
きり丸の手は荒れていたいよ。でもどうだいもしきり丸がぼくらの手を憎んでも、ぼくらの手がきり丸にとってやわらかいってことは変わらないんだよ、それにぼくらの手もきっと荒れてゆくよ、だから手をつなごうよ、荒れてゆくのも癒えてゆくのも知るために、きり丸の手は癒えてゆくよ、相応しい傷を増やしてゆくよ、ぼくらの手は荒れてゆくよ、相応しい傷を負ってゆくよ、乱太郎の手は薬品で荒れて、しんべヱの手は釘や木材のささくれで細かい傷をまとってゆく、きり丸の手は癒えてゆくよ。
ぼくのこの傷が何か、知ってるでしょう。二人とも見てたよね、今日の授業でさ。
きみの傷を知っているよ。
「おれの、この傷が何か、知ってますか?」
中在家は短く答えた。
「知っている」
そういってきり丸の指に触れた。ざらついた感触が滑る。
「これは手裏剣の傷。俺も同じ傷をつくった覚えがある。投げるときに、うっかりすると、この辺りに当たる」
きり丸は笑った。
「正解っす」
「これが何か、わかるか」
中在家がいった。きり丸は指された中在家の薬指と中指に巻かれたさらしの意味がわからずに首をかしげる。
「バレーだ」
突き指防止の意味合いもある、補強だといわれ、きり丸は思わず笑った。
そうとも。上級生だからという理由だけの傷ばかりではないのだろう。忍務があり、同じようにバレー三昧な日もある。きり丸とてそうだ。バイトばかりではない。委員会ばかりでもない。授業があり、空いた時間があり、机を並べて学ぶ友人たちと机を離れて駈け出してゆくときがある。遊ぶことにだって忙しいのだ。
きり丸はふと中在家が火傷の手当をしない理由がわかった。
「先輩、さらしが邪魔で薬つけられないんでしょ」
中在家は無言だった。が、どことなく憮然とした顔がきり丸の推量が外れていないことを物語っていた。きり丸はおかしくなって思わず笑う。
「ねぇ先輩、おれのもそうなんですよ。これは手裏剣のやつ、こっちは転んで擦りむいて。んでもって、こっちにもいつついたかわかんないけど切り傷。ほら、薬を塗りこんでたってきりがない。このあかぎれはもう治りかけだし、どっかのを包帯で巻こうとすると他のに重なる。だから、このままで大丈夫なんですよ」
きり丸の手には傷がある。が、多くは傷痕となって、薄れてゆくものばかりだった。新たにつく傷も後を絶たないが、いずれも少しずつ治ってゆくものだ。
中在家がふっと目元を和らげる。見上げ馴れたきり丸には彼が笑ったのだとわかった。きり丸もにっと笑い返した。
傷痕も縫痕もある。火傷も生傷も、薬品で爛れた痕も。
それらはつらく痛ましいばかりでなく、いっそ笑いを誘うものだってある、ただこの日々の暮らしのあかしである。
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「中在家には傷痕や縫痕が多い。きり丸は細かい生傷が絶えない。忍務とバイトと遊び盛りのこどもとバレー三昧な日々。」…雑記からの妄想です。
傷を捨てることに意味があるだろうかと思って。
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。