緑に囲まれた建物だった。庭はない。ないが、敷地の外には緑がある。目に優しいそれに気持ちをわずかに和ませて、アーサーは窓枠によりかかったまま嘆息した。
議題とは関係のないところで、口論をした。論争はお家芸だ。だがささくれ立つような喧嘩は、話が別だ。
いうべきではないことをいってしまった。
ふと足音がして、隣にアルフレッドが並んだ。彼は窓の外を見たままぽそりといった。
「コーヒーでも飲む?」
「…いや、いい」
そう、と気にした様子もなくアルフレッドは頷いた。いってみただけだろう。
彼を若僧扱いするのは、まぁいい。事実だからだ。アーサーから見て、アルフレッドの表立って採る手段が幼く短絡的であることも否めない。
だが、それとは別に、彼をこども扱いした。いや、昔のことを掘り返してしまった。
たとえ事実ではあっても、今現在ではなく過去のことを持ちだすのは、他でもないアーサーの感情面から来たものだった。それがわかっているからアルフレッドはささくれ立つし、アーサーは納得できないものを感じながらも胸にしこりを残すのだ。
わかっては、いる。お互いに。そして馴れてもきたはずだった。
「なんで毎度、君は同じことばっかりいうんだい」
旧弊的にも程があるよ、と少しばかり拗ねた口調で揶揄される。もう怒ってはいないようだ。
苛立ちが長続きしなかったのはアーサーも同じことで、それは矢張り同じことを度々繰り返しているからだろう。
「訊くな、ばか」
わかっていることだろう。アルフレッドは眼鏡の奥の目を細めた。
何故アーサーが、アルフレッドに手を振り払われたことをこんなにも引きずるのか。最初で最後でもあるまいし。たくさんあった農園のうちひとつ。確かにかけがえがないほど豊かな市場がひとつ。
だが、それだけではないか。
「俺を愛していたからかい?」
アーサーは彼を振り仰いだ。
「お前を愛することを、俺が、決めたからだ」
アルフレッドはアーサーの瞳と向き合うことを避けるように、窓の外の緑を見ていた。
確かにたくさんの農園のうちひとつ。だがそのひとつひとつが、それぞれに豊かで、常にはいられないがかけがえのない、ひとつしかないものだったのだ。夏休みに訪れる田舎のファームのような。そんな例えは、不遜にすぎるだろうか。
アーサーは、初めて自分から愛したのだ。それがアルフレッドだった。
それだけのことだ。
兄とは不和で、隣人は隣人以上でも以下でも以外でもなくて、だから稀有なことだったのだ。何かを愛するということは。だからアーサーは悔やまない。懐古はしても、あの草原の小さなこどもに会わずに済めばよかったとは思わない。勿論、小さなこどもにまつわる幸福な記憶もあれば、若者となった彼に苦渋を舐めさせられたこともある。最近はもっぱら後者だ。だがどちらも失くすことはできないし、それがよいことだとも思えない。時々は愚かな世迷い言を吐いてしまうのは、酒のせいと年のせいということにしておくとしよう。
「君は、俺が君を愛してたことよりも、自分が愛してたことのほうばっかりが大事なのかい。君は俺を愛する君自身を愛してただけじゃないか。そんなの、俺には」
「…俺がお前を愛するように、庇護するように、幼いお前が仕向けたことはわかってる。知ってた乗ったんだ。ままごとのごっこ遊びでも、体裁としちゃ悪くなかったし、居心地がいいに越したことはねぇだろ。でもまぁ、ごっこも続けてりゃあ、ごっこ遊びだけじゃなくなるもんでな。確かに俺がお前を愛したのは、お前が俺を選んだからだよ。庇護者としてだろうが後ろ盾だろうがなんだろうがな」
アルフレッドが何かをいいたげな顔をしているのを知りながら、アーサーは言葉を続けた。
「でもな、アル。お前は知らずに選んだ。俺は知ってて選んだ。何がって、自分が何かを愛するということをさ。誰かをこころの中心近くに置くってことをさ」
わかるか?アル。
アルフレッドはつまらなそうな口ぶりでいった。
「わからないよ」
アーサーは目を細めた。
「そうか」
わからなくてもいい、まだ。いつかわかるかもしれない。そんな日が来るといい。どんなに苦しくとも、それは最良の日だ。
その日が最良であり、その日からのすべてが善きものであり、かつ、それでいて最も苦しい日々の始まりでもある。お前にわかるだろうか。そんな辛く苦しい日々がお前に訪れるだろうか。その胸苦しいほどのものを、幸福と、呼ぶのだと、いつか知るだろうか。それを、幸福と、お前は呼ぶのだろうか?
呼ぶといい。呼んだならば、そのときお前は、俺のこころの一端を知る。重ねて思い出すことなどないかもしれないが、孤独を知る。知ってお前は、強くなれ。
俺がお前に想ってやれるのはこんなことぐらいだ、と自嘲することなくアーサーは思う。だからそのときまで、せめて知らずにいるといいと、アルフレッドにならうようにして、窓の外の緑を眺めた。
アルフレッドはつまらなそうな顔のまま、また考えごとにふけるアーサーの肩を横目で見つめていた。
わからない、わけがない。
君は選んだといった。自分で選んだと。俺だって選んだ。知らずに選んだのはほんとうだけど。俺だってとっくに選んでるんだよ。
あの日、草原で、誰が君の涙を拭ったか憶えていないのかい?
残念だけどね、選んだのはお互い様なんだ。ほんとうに残念。選びなおすことはできない。
君って存在は俺のこころの中心近くにあるんだ。勿論、愛おしいばっかりじゃない。憎くてたまらなくもある。越えなくちゃならないものでもあった。ルーツでもある。無視はできないけど、干渉もされたくない。そうだな、見守っててほしいって感じだな。動かせないんだ。どうしても。
ああ、ほんとうにさ。
嫌な例えだけど。こどもは親を選べないってのは、ほんとうにそうだと思うんだよね。だって他の誰かや代わりなんて、想像できないじゃないか?たとえ選んでいいっていわれてもさ。
俺は初めの一歩から君を選んだ。それを何て呼ぶか知ってるかい?
思し召しさ。
だから、しょうがないってもんさ。
君は初めて自分から誰かを愛した。俺は君を選んだ。どんな意味をつけようが、腹立たしかろうが喜ばしかろうが、結局それだけのことなんだろう。
アルフレッドは頑なに窓の外を見ていた。どんな場であろうと隣にいる彼に向かい合うことは辞さないが、今このときだけはそんな簡単なことができそうになかった。それでも自然と目はさわさわと揺れる緑に向かう。
振り仰がずにはいられない、そういうものだった。
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どっちにせよ“みどり”を見るアル。
アーサーの碧眼がだいすきなのはわたしです。
実際には「イギリス」が選んだのであって、「アメリカ」には選択の余地はなかったと思うんですが。でもあのご本家の争奪戦とか見てると、個人レベルではこういう話で片がつくんじゃないかと思ってる。
アーサーがひきずるのは裏切られたからじゃなくて最初で最後唯一の彼の息子だったからじゃないかなってこと。
アーサーにとってはアルは自分の息子なんじゃないかと。まぁこどもは非情なものなので親の有難味やその気持ちなんて当時も今もわからないもので。ましてやヘタリアは年の差が一定ではない。息子だったのが弟ってくらいに年齢が近付いたりしてる。でもアルの成長速度は、少なくともちびからこめりかくらいまでは普通の人間の成長スピードとほぼ同じくらいだと思って、それって稀有だなぁなんて。ルートも結構人間に近いスピードで成長してた時期がありそうなんだけど。
…こんなにあからさまな愛情の話でも、欧米人ならしてくれるだろうと思って…!(赤面しつつ)(もっと欧米事情を勉強しなさい)(だって複雑怪奇なんだもん)
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。
ぎんたま以外に書いたものを雑多に。 コンセプトは「好きなものを好きなだけ」。