ネウロ。ネウロと弥子。
ネウロは割とよく眠る。ここが事務所で彼の巣だからなのか、最近の事件で魔力の消費が大きいためなのか、ともかく昼間でも、彼女が居ても、よく寝入る。
ちゃんと夜に寝てるんだろうか、と思いながら、弥子は時々膝を貸す。寝心地が悪いとどつかれながら。
椅子に腰かけたままこちらに背を向けて、居眠りをすることも時々ある。そうしたときは、弥子はソファで宿題をやったり、事務所に来る道すがら買ったコンビニの新製品を食べたり、あかねのトリートメントをしたりする。
最も多いのは、天井にごろりと寝転ぶことだ。彼は地上の法則に縛られない。だらりと落ちた涎が床に焦げ穴を作っていて、なんとなく、弥子は寝煙草で小火、というのを思い起こした。この事務所に絨毯を敷いてなくて本当によかった。
だからネウロの寝顔など見慣れたものだ。ただうっかり時々鳥頭になっていることがあって、そちらのほうが、余程珍しい。思わず、おお…とじっくり眺めてしまい、ねじくれた角や彼女の頭を一飲みにできそうな嘴を、恐ろしいと思うのではなく、単純に珍しいと思ってしまったことに、何だか微妙に違うんじゃないかと複雑な気分になった。
ネウロはよく寝入る。たとえばそれは、折角彼女がいて、真昼間で、謎を探しに行くにはよい日和だったとしても。
それを、疲れてるのかな、とか、夜型になっちゃったんだろうか、とか、色々と勘繰ってみたが、どれも正解で、どれも少し違う気がした。
ただ弥子は、ネウロが眠っている間の静寂を嫌いではない。そうして事務所で何でもない日を過ごすことも。
そして今、謎を解いて、帰って来て、とりあえず今日は満足、とばかりに眠りこむ魔人に、なんだかこどもが昼食の後に昼寝をするみたいだな、と思って、知られたら恐ろしい目に遭う気がしたので、そっと微笑を隠した。
だが隠す仕草でばれてしまい、何やら不穏な笑顔と共にどつかれて、強制的に睡眠をとる羽目になった。
ネウロは目を回してしまった弥子を見下ろす。大分タフになって来たようだが、体力的に及ばない部分はあるものだ。彼女の年齢と体格では、タフといっても自ずと限界は見える。食欲と胃袋の許容量に限界は見えないが。
首根っこを猫の仔のように掴んでソファに投げ飛ばす。スプリングがいい音をたてて軋んだが、弥子は目覚めない。放っておくことにする。ネウロはそのまま歩いていって椅子に腰かけた。
弥子は事務所でよく居眠りをする。彼自身が謎を探しにふらりと出歩いている間に。
或いは謎を探して帰って来て、疲労と眠気に耐えきれなくなって、うとうとと船を漕ぐ。すぐに自宅に帰ればいいものを。あかねに茶を淹れてもらい、今日は一段落、とばかりに熱い紅茶を啜って、瞼を重くさせる。あかねがまた気を利かせて、鎮静効果のあるハーブティとやらを淹れるのも一因だろう。ふっと気が緩むのだ。
それとは別に、彼が調べ物などでパソコンに向かっているとき、暇な彼女は学校から出された課題をしている。気が乗らない作業なのだろう、すぐに集中が切れる。暗記科目だという単語帳を膝に置いて、涎を垂らしてこっくりこっくりと首を揺らす。単語帳には赤ペンで引いたアンダーラインよりも、涎の染みのほうが多いに違いない。馬鹿らしいので確かめてみたことはないが。
弥子が何かを食べている。あかねのトリートメントをしながら会話に花を咲かせている。あかねがパソコンのキーを叩いている。パソコンの画面に熱中していたネウロがふっと顔を上げると、そこには見慣れた景色があって、たとえそれが珍しいものであったとしても、何故か既視感と共に受け入れられる。たとえば弥子はものを食べながら眠り込むことはない。だがそれを目にしたところで、馴染み深いものを見たような気分になるのだろう。彼女が睡眠欲よりも食欲を優先させるのは至極ありそうなことだから。
「食い意地の張ったやつめ」
涎を垂らして眠っている弥子にそう呟いて笑うのは、よくあることだ。だが彼は知りもしない。知る由もない。彼女もまた同じ台詞を、眠る彼に向かって、苦笑と共に漏らしているのだと。
ネウロは目を回したままの弥子を見やる。うつ伏せに、適当に投げられたために半分ソファからずり落ちかけながら、気絶に近いかたちで彼女の意識は落ちたようだった。
眠ればよい。しばしの休息をとればよい。謎の気配が現れれば、今すぐにでも起こされるのだから。
たとえ何もなくても、夜闇が深くなるまでには叩き起こしてやろうと思い、なんて気遣いのできる主人だろうなとあかねにいった。終電がなくなるかどうかのぎりぎりの瀬戸際で起こしてやろう。眠気も吹き飛ぶぞ。あかねは困ったように揺れた。笑ったようにも見えた。
*****
あかねちゃんは全部知っている。
お互い相手が眠ってる間がなんだかとても長く感じるんだよっていう。
ネウロは「弥子がいるから」安心して眠るんだってのもあると思う。
弥子が珍しさ=違和感のほうに敏感なのは彼女が変化する生き物だからで、ネウロが既視感や馴染み深さのほうをむしろ感じるのは彼がどこでも王者として君臨するのに慣れた強者だから。でもそれが逆転するときがあるといい。
題名は「眠り猫」。眠り猫といえば日光東照宮。眠ったふりでいつでも害する敵に跳びかかれるんだという姿でもあり、背後で雀が舞っていても眠っているほどの平和を現わしてもいるんだという話もあったり。
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