「
即興小説トレーニング」さんで挑戦したもの。もうだめだねむい。誤字が合ったらごめんでござる。
お題:限りなく透明に近いあの人
制限時間:30分
文字数:1630字
すうっと目を見開いて、ぱちぱちと瞬きした。そこに虹がかかっていたから。
都会とは言い難いが住宅街と団地とその隙間を埋めるような形で存在する小さな公園の滑り台の下から、彼はそれを見た。
ずいぶんと長い間眺めていた気もするが、よく憶えていない。前後の記憶もはっきりしない。ただ、虹を見た。知識としては知っていた。見るのが初めてのわけでもない。ただ、見上げた。
あの雨上がりの日の空気をよく憶えている。
あれは四歳の記憶だ、と彼は思った。公園に遊びに行って、珍しく誰もいなくて───今思えば、雨がもうすぐ降るからと親に引きとめられた子や、あらかじめ見越して家の中で遊んでいる子が多かったのだろう───曇天の下、砂場で小さなシャベルで砂をぐさぐさ突き刺して。誰か来ないか待っていた。
その時だ。雨が降ったのは。
ほんの数分の、ゲリラ豪雨だった。彼が四歳のころならまだ地球温暖化なんてものが叫ばれる前だったろうが、世論には関係なくその日、天気は急転した。すぐに止むだろうと、滑り台の下に彼はいた。そう、その日のことだ。
「じいちゃん、自転車借りてくぜ」
彼は玄関の引き戸を半分あけたまま、中に向かって声をかけた。祖父はああと答え、居間から顔を覗かせた。
「雨じゃないかね」
「雨だよ。でもちょっと行くとこがあって」
「おい、カッパいるかね」
「ガキじゃねんだし。いらねーよ」
「チャリコ漕ぐならいるだろうさ」
「いいって。たいして降ってねーし」
「傘はいかんぞ。傘さして倒れて骨が顔に刺さった、従兄弟のケンの話したろ」
「あーはいはい覚えてるって。傘もいらね。そのうち晴れんだろ」
この田舎に越してきたのは二年前だ。それまで彼は都会の学校でいじめられていた。靴に画鋲?あるある。体操着がない?はいはい、あるある。もっとえげつないものから、笑ってしまうようなものまで。実に、ベタな。ありふれた、ステレオタイプの。
両親が祖父の家に彼を預けることを決めたのは、けしていじめにあってることが発覚したばかりではない。ありていにいうのなら両親は離婚し、母の実家がここだった。
それまで比較的都会に暮らしていた彼は、田舎の何もなさ、虫のでかさ、虫のうるささ、まぁそんなものを知った。甘柿と渋柿の見分け方も知った。田舎の学校の過疎っぷりと、比例するようなのびのびした、ある意味放任に近い、アホっぷりを知った。居心地がいいかといわれたら、まぁ悪くはない。ただ過疎すぎて同年代の友人が少ない。
知ったのはおもにそんなことだ。
がしゃんがしゃんと音を立てる自転車を漕ぐ。道路は舗装されてる。流石にそこまで田舎じゃない。これが畦道だったら流石に自転車を飛ばす気にはなれない。
細い雨粒があたる。もうすぐ雨の終わりが近い。
教室での彼は、空気でも汚物でもなくおもちゃだった。
まるで、いるのにいないみたいだった。
がしゃんと音がうるさい自転車を止める。心臓がばくばくとうるさい。
うるさいものだらけの中、けれどここは何もない。田舎だから。
長い一本道の途中で止まり、息が上がって上を見上げる。がむしゃらに漕いだ。あてなんてなかった。ただほんの少しでも遠くに、いや近くに行けるかと思った。
虹の足元には財宝が。
そんなことを信じているわけでは、けしてない。
ただ、あそこは狭かった、と彼は思うのだ。今なら思えるのだ。ここにはでかい虫とうるさい虫と。でもあそこだって人間大の虫がいた。あいつらのほうがよほど気持ち悪い。彼は今ではギンヤンマだって見つけられるし捕まえられる。トンボは綺麗だ。あの鈍色に輝く翅は、虹に似ていた。
狭い滑り台の下の、狭い空を見上げて、あの日、虹を見つかれたのは僥倖だった。
あの日に出来たことなら、今だって。ほら、こうやって見つけられる。
いつの間にか雨は止んでいた。彼は深呼吸して、雨上がりの空気を吸い込んだ。そこに虹がかかっているから。
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